2010年7月8日木曜日

Ladder of Abstraction



抽象のはしご

私達の使う言葉は辞書や定義で生成された以上の意味を含んでいる。
それは、自身の経験を通して形成された意味で、言語による他人との完全な共有が難しいとされている理由のひとつでもある。

S.I.Hayakawaは著書Language in Thought and Actionの中でその個人の世界と現実世界のギャップを少しでも埋める方法を提示している。

このようなハシゴをモチーフとした概念図では、言語表現の抽象度の高低の調節の重要度を示唆している。



注意したいのは
”このハシゴをスムーズに行き来出来る事=会話によって抽象度の適切な変更ができること”
”抽象度が高ければ高い言葉ほど必要条件が少ないこと(vice versa)”である。

例えば平和や富といった言葉は非常に抽象度が高い。しかしどんな平和なのか、感情的なものなのか物質的なものなのか全く分からないし、応用しやすくどのケースにも当てはまってしまう。

音楽や絵は言葉に頼らず表現ができる。
しかし表現者の中で一旦言語化されていては、この抽象化のプロセスによる弊害に注意しなければならない。
言語というツールを無意識に使っていると、情報のそぎ落としが行われているかもしれない。
体が保有する情報量は、感覚器で捉えた時点を最大量とし、表現に落としこむまでに、どれだけ現象してしまうのだろうか。もしくは逆なのだろうか。


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